10月28日 自信と奢り・謙遜と卑屈

皆様おはようございます。
本日28日は不動明王の縁日。
淡窓不動尊明王寺 護摩供養の日でございます。(毎月28日、午前10時ヨリ)

今月2日、俳優の大滝秀治さんが亡くなりました。

個性的な俳優さんで、声も特徴がありナレーションなどの声もとても印象的でした。

大滝さんが亡くなったあとFACEBOOKというインターネットツールで

ootakisan

のような画像を見つけました。

俳優人生一筋に生きた大滝さんらしいお言葉だと思います。

仏教では私たちの悩みや苦しみは

降って沸いたものではなく、自ら迷い苦しんでいる事が多いとされてます。

その原因の一つが・・・

他人と自分」を比べること。
私たちの普段の生活の中でおこる悩みや苦しみ、その多くは

「他人と自分」を比べる事から始まっていると。
あの人はお金持ちでいいなぁー

いつも海外旅行ばっかりいっていいなぁー

人に好かれてていいなぁー

大きな家に高価な車にのっていいなー
そして、人をうらやんでは、自分よりみすぼらしい人を見つけて慢心をおこしてしまう・・・。
話を大滝さんの言葉に戻します。

自信の上には奢りがあり、

謙遜の下には卑屈がある。

決して、自信に堕ちるな、謙遜に満ちるな。

自信に堕ちるな、謙遜に満ちるなという言葉の真意は不明ですが

自信に堕ちる=奢り

謙遜にに満ちる=卑屈

という事でしょうか?

それでは
「自信と奢り(おごり)」の違いってなんでしょうか?

「謙遜と卑屈」の境界線ってなんでしょうか?

私が感じたその答えというのは

自分の目が、自分に向いているうちは自信なのですが、他人に目を向けて

「あいつよりは自分の方が優れている」と

思った瞬間、自信が奢りとなるのではないでしょうか?

自分に対しての戒めの気持ちであればそれは「謙遜」ですが

他人とくらべて自信を失うことが「卑屈」なのではないでしょうか?

大滝秀治さんが敬虔な仏教徒であったかは定かではありませんが、

大滝さんの役者道を究めた人生の中で仏教の中にあるひとつの教えに気づかれたのかなぁと

そんな風に感じました。
役者道というものがあるならば、

仏道

茶道

華道

剣道

武士道

など
日本には道のつく物がたくさんありますが

やることは違えどもその心のあり方はどれも同じなんだなぁと感じております。
私が高校時代に好きだったNIKEのCMのキャッチコピー

本当の敵は自分の中にある

大滝秀治さんのご冥福と

皆さんが自信と謙遜を胸に生きがいのある人生を送られますことを

南無大聖不動明王 ノウマクサンマンダバザラダンカン

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