入峰

きっと人生も同じなんだろう。

b15925e0.jpg今年も京都の醍醐寺では奥駈修行が近づいて参りました。

この写真は昨年の大峯での奥駈修行の時の写真です。

今年は訳あって行けませんが・・・残念!

要するに費用が無いわけです・・・Oh…

まぁ今年は高野山にも行かせて頂いたので、奥駈(おくがけ)にいけないのは仕方ない事ではありますが。

山に入るとき・・・

それも、複数ではなく一人で山に入った時、思った言葉です。

急いで山頂を目指すと、来た道(帰り道)が分からなくなる。きっと人生も同じなんだろう

複数で山に入るときは、道順などは人まかせな場合が多く

あまりマイナーな山には入りません。

日本有数の霊山『大峯山』なのどは、確かに厳しい山ですが、道自体は結構整備されております。

自坊の近く(日田近郊)にある山は決して高くはありませんが

そのため、登山者も少なく、道は荒れている場合が多くあります。

道が無いこともしばしばです。

のぼりはじめなどは良いのですが、山頂が近くなると・・・

「もう少しだ!」

「よっしゃ!行くぞ!」

と気が早ってしまい、ついつい急いでしまいます。

初めて一人で山に入った時・・・

山頂付近で、急いで登っているとき

ふと、後ろを振り返ると・・・

来た道(帰り道)が全然わかりませんでした。

山道などは無く、落ち葉で地面はうまっており

足跡もありません。

最初は木の枝などに目印を付けていたのが・・・

山頂を目前にして気が早るあまり、

目印を付け忘れていました。

一人の時の孤独感はなんともいえない寂しさがあります。

とりあえずむやみに動くと本当に迷ってしまうので

今いる地点に目印をして

来た道を探しました。

偶然、以前の登山者の方のぼろぼろの目印が見つかり

事無きを得ました。

私達行者にとってお山は仏様そのものであります。

お山(仏様)は時に、雨を降らし、風を吹かせ

私達行者を厳しい環境にすることで、色々なことを教えてくださいます。

来た道が分からなくなる。

これはあまりに急ぎすぎたことが原因です。

普段の生活にあっても、あまりに急いだり、執着しすぎると

自分の来た道が分からなくなるという事だと感じました。

–例えばスピードの出しすぎによる交通事故とか

詐欺や横領などのお金の問題(事件)とか–

自分の来た道というのは、自分の過去であり、自分の軌跡であります。

これを見失うことは、自分を見失うことであり、自分が本来しなければいけない目的

を失っているという事では無いでしょうか。

山に登るときは途中、途中で後ろを振り返り、来た道を確認しつつ

目印を付けながら登る。

人生でもそのような作業が必要ではないでしょうか。

私ごときが社会情勢を口にするもなんですが・・・

ホリエモンや村上さんなど、すごい才能と抜群の感性をもっていながら

やっぱり、急ぎすぎた為に・・・

自分が本来、真にやるべきことを見失ってしまったのではなかろうか・・・

そんな風に思っております。

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