思う言葉

人は一生をかけて・・・完全な死体になる。

人は一生かけて

完全な死体になる。

これは僕の好きだった(最近はほとんど読みませんが・・・)

寺山修司の言葉であります。

たぶんこんな感じの言葉だったと思います。

初めてこの言葉を聞いたとき・・・

生死をそういう風に捕らえる事もできるのかと

驚いた事を覚えております。

最近では信者のおばあちゃん達に

「長生きしてくださいね」

と、言うと

「死ぬまで生きちょくばい」

という返事が返ってきます。

ああ、なるほど。と

おばあちゃん達と寺山センセは相通ずるものが・・・

寺山センセのいう「完全な死体」ってなんだろうか?

と考えます。

「完全な死体」・・・人によって捕らえ方は様々かと思います。

「不完全な死体」とは?

「完全な死体」と「不完全な死体」の違いとは?

僕はこれまでたくさんの人に「なんで生きてるの?」という

問いをしたことがありますが明確に答えてもらったことはありません。

「死にたくないから」とか「お酒を飲む為」とか・・・

「生きる意味なんぞ知らんでも、生きていけるしね。」

それは確かにそうなんです。

が、

僕は、生きる意味を見つけた人とそうでない人で

「完全な死体」か「不完全な死体」になるかが

変わってくるような気がしております。

自分にとっての「完全な死体」を思うとき

自分にとっての「生きる意味」が見つかるのでは・・・

などと、昨日寝るとき布団の中で考えちゃいました。

ちなみにぼくの目指す「完全な死体」とは

「あんたがおって良かったばい」とひとりでも多くの人に

言ってもらえる死体になることです。

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