独り言

あるお寺さんのお話

どうも。僕です。

本当にお久しぶりです。

先日あるお寺さんの法話のテープを聴きました。

偶然見つけたものです。

その中に長崎バスの鬼塚さんの話がでてきました。

話の内容は

戦後間もない頃…

21歳の鬼塚さんは木炭バスの車掌さん(運転手は別)をしておりました。

ある急な坂にかかったとき

エンジンが止まってしまいました。

ブレーキも補助ブレーキも効かなかったそうです。

坂の下は崖。戦後間もない頃ですのでガードレールもありません。

鬼塚さんはバスを飛び降りてタイヤに木や石を詰めて

バスを止めようと試みます。

25人の乗客を乗せたバスは勢いもありなかなかとまりません。

乗客はパニック状態です。

さらに勢いを増したバスが崖の寸前で突然とまりました。

乗客や運転手は安心してバスから出たとき

バスの車輪に自分の体を投げ入れてバスを止めた

鬼塚さんに気が付きました。

石や木では止められないと思い自分の命を賭して

バスを止めた鬼塚道男さん。若干21歳です。

話の概要はこんな感じなのですが・・・。

とっても悲しい話で、切なくなる話です。

私も宗教者として人を救おうなどと大それた気持ちを持つなら

これくらの覚悟がなければいけないんだろうと

思いました。

硫黄島

じつは「イオウトウ」と読みます。

太平洋戦争が敗戦濃厚な1945年2月に

日本軍と米軍で激しい戦闘がありました。

WIKによると

日本軍は2万933名の守備兵力のうち2万129名までが戦死した。損傷率は96%にのぼる壮絶な激戦であった。

一方、アメリカ軍は戦死6821名・戦傷2万1865名の計2万8686名の損害を受けた。太平洋戦争後期の島嶼での戦闘において、アメリカ軍地上部隊の損害(戦死・戦傷者数等[2]の合計)実数が、日本軍を上回った稀有な戦いであった。

だそうです。

この戦闘の指揮をとった栗林中将は

どうせ負ける、皆死ぬんだとという悲壮な思いの兵士たちに

万歳特攻(武器をもたず飛び出す事)を禁止しました。

どうせ死ぬなら早く楽になりたい(死にたい)という兵士に

死ぬ事を禁じました。

米軍が硫黄島を占領したいのは、ここに飛行場を作りたいからでした。

硫黄島に飛行場ができれば、B-29によって直接日本本土に空爆ができるからです。

この事を分かっていた栗林中将は

米軍の硫黄島占領が、一日遅れれば、日本本土に暮らす女性や子供が一日生き延びることができる。二日おくれれば二日生きられる。

だから、無駄死をするなと。

硫黄島は名前の通り硫黄で出来た島で、地中は70度にもなるそうです。

その島であえて地下壕を堀り、過酷な状況の中で本土にいる

日本国民の事を想い徹底抗戦の末に多くの方々な亡くなっていった。

長崎バスの鬼塚さんの悲壮な死は私たちの心をうつが

実は同じような悲壮な死がそれ以前にはたくさんあったこと。

長崎バスでは、当時助かった人達やその家族と毎年事故のあった9月1日に法要をしているそうです。

太平洋戦争自体の是非は他所にまかせますが、

ただ、多くの人の心が、後世の幸せを願う人の心が

そして、悲壮な死があって

今の私たちがるのだと

毎年、この時期になると殊更に思い出されます。

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