豆田のほど近く
大分県の天領日田を代表する豆田町の通り(みゆき通り)の程近くにある寺院です。お四国霊場参りにて奇跡的に病気を平癒した熱心な信者により明治21年、豆田町の花月川沿いに建立されました。その後大正15年に現地の淡窓町に移転し現在を迎えております。
弘法大師のお寺
明王寺はお大師さまをお祀りしているお寺です。お大師さまが高野山の奥の院に入定(にゅうじょう)されて約1200年が経ちますがその人気は衰えを知らず、現在でも宗派を越えて厚く信仰されています。四国にあるお大師さまの霊場『四国八十八ヶ所』には年齢性別や季節を問わず多くの方が、それぞれの思いを胸に参拝されております。 日田の地に於いても、当山第2世住職隆禅僧正により、明王寺を第1番札所とした、日田市近郊にひろがる日田新四国八十八ヶ所が設立されております。また、毎月20日はお大師さまのご威徳に感謝すべく御詠歌を奉納しております。 南無大師遍照金剛
不動明王のお寺
明王寺の御本尊はお不動さまです。怒りの形相をして、右手に剣、左手に縄を持ち、後背には火炎がのぼっています。怒りの形相は間違った人を怒ってでも良い道に戻してあげようという慈悲の表れです。右手の剣は私達の悪い煩悩を振り払ってくれます。後背の火炎はお不動さまが『火生三昧』に居られることを意味し、この炎は私達の煩悩や罪障をことごとく焼き払ってくれます。 当山の御本尊は全長60cmほどの立像で、理源大師聖宝のご自作と伝えられており、当山第2世住職隆禅僧正が京都醍醐寺より赴山される際に招来したとされています。 古来よりお不動さまは『息災』(災難をのぞき、何事も無く達者であること)『鎮宅』『招福』(転じて商売繁盛)『戦勝』(勝負運、合格祈願など)にご利益があるとされております。 南無大聖不動明王
明王寺の歴史
真言宗醍醐派報恩院遍照山明王寺
明王寺の建立は、当時日田町大字南豆田字鉄砲場(現在の丸の内町)に在住の水島安兵衛翁の発願によるものであります。 翁は、 明治十四年旧三月、三十九才の時に感ずるところあって本四国八十八ヶ所の参拝巡礼の旅に出て、第五十一番札所・石手寺参拝のおり弘法大師のご加護を頂き深く感銘し、その報恩感謝の誠と多くの人々に大師のご加護のあらんことを念じて一寺建立を発願致しました。 翁は一寺建立にあたり私財の大半を喜捨し、また、幾多の困難を克服して漸くにして、明治二十一年三月二十一日、大分県下毛郡中津町より明王院の院号を鉄砲場に移し、更に山号を遍照山・寺号を明王寺に改め、上棟の式(地突き加勢300有余人、上棟加勢500余人)を修しました。 明治二十一年11月21日に落成し、大願成就しました。県内外より十五ヶ寺余の住職が参集しまして、十三日間に渡り盛大な落慶法要が修され、無魔吉祥に明王寺が建立されました。これが明王寺発祥の由来であります。 さらに時代はくだって京都醍醐寺より吉水隆禅師が普山し第2世住職となりました。この時招来した不動明王のご尊像が現在のご本尊であり理源大師聖宝の刻まれたご尊像です。また、大正15年には現在の淡窓町に移転して現在を迎えております。
納骨のご案内
明王寺では本堂内と境内に納骨壇・集合墓を安置しております。
以前の宗派宗旨等は問わず受け入れております。
九州八十八ヶ所百八霊場 第九十五番札所
明王寺は弘法大師の霊場「九州八十八ヶ所百八霊場」の第九十五番札所となります。
ご参拝の方は境内に車を止めてください。御朱印は本堂にも御座います。ただし、手書きの御朱印は住職が不在の場合にはお受けできませんのであらかじめご了承ください。